能登の言葉とともに封印した高校時代の記憶を少しずつ取り戻している-2017-12-13

2019年10月19日

東京に上京してから帰郷するまで同郷の人と交流することがほとんどなかった。

でも県人会には一度参加したと思う。

ずっと東京弁を使って仕事をしていたせいか

能登の言葉をすっかり忘れてしまっていた。

ヒアリングはできるが、スピーキングが思い出しながらやっとできる。

新規就農後は耕作放棄地再生を2年以上ひとりで続けていたので、話し相手がいなかった。

高校の同級生は街に出れば何人かいるけれども

そもそも上手く行く見込みがほとんどない状況なので、

ある程度めどが立ったらと考えた。

それで同窓会にも出てません。

確かにアルバイトの方は身体への負担が大きいけれども

地元の言葉が普通に聞けるので少しづつ記憶が戻ってきている。