[2012-03-07]自己紹介の続き

2017年1月6日

島崎光典
1965年青森県つがる市木造町生まれ。
石川県立穴水高校普通科卒業後
読売新聞奨学生として東京の代々木ゼミナールへ
通いましたが大学には進学してません。
「石の上にも3年」
当時の私は大学進学よりも
東京で生活したいという気持ちの方が強かったです。
新聞奨学生というのは親を安心させるための口実でした。
それで渋谷区の初台販売所で
新聞配達を3年してみてました。
その間に読売販売経営学院の販売管理科
で6ヶ月間、区域管理について学びました。
この新聞配達員時代に体験したことが
その後の私の人生を大きく変えたと思います。

帰省ラッシュを見れば分かるように
東京には田舎者の巨大な集まりのような面があります。
田舎者が都会人らしくふるまうには?
ナイフとフォークを使いこなして食事をするくらいしか
箸しか持ったことのない私は思いつきませんでした。
たまたま工事現場の警備員を2、3ヶ月くらい常駐でしていたときに
そばのロイヤルホストというファミリーレストランの店長から
ここの工事が終わったらうちで働かないか?
と声をかけてもらいました。
そのことがきっかけで
2年間そこでウェイターをやりました。
働き始めたときは「本当にきたの?」と
先輩の従業員の方たちに半分あきれらましたが
警備員当時から皆さんとは挨拶をかわしていたので
職場の中にスムーズに入ることが出きました。
仕事というものは
誰も見ていないようにみえても
誰かしら見ているものだ
ということをそのときに教わりました。

陸上自衛隊へは、日本以外の国には
当たり前のように軍隊があります、
このまま軍隊や国防について
何も知らないで過ごしていいのか?
それで諸外国と渡り合えるのか?
という単純な動機から入隊しました。
当時は希望すれば誰でも入れました。
就職希望の大学生が自衛隊に見向きもせずに
証券会社に入りたがった時代です。
私は下士官で辞めましたが
仕事の大半は管理業務でした。
自衛隊は自己完結型の組織であることが
災害現場の救助活動での強みです。
当然裏方役を担当する人が必要です。
どんな仕事でも先入観をもたずに
とりあえずやってみる。
それなりに得るものはあったと思います。

一時期自殺するか悩んで
千葉県の成田山新勝寺に1年半ほど毎朝通って
不動明王の前で自問自答していたことがあります。
しかしそこまで悩む人は案外簡単には死にませんね。
けっきょく死んだつもりでイチからやり直せばいいだけだ
と開き直りました。

その後は愛知県小牧市にある渥美組へ
愛知万博を見に行くついでといった
軽い気持ちで働きに行きました。
長野県の製造工場へは
東京都の日研総業の紹介で
派遣社員として出かけました。
安曇野市にあるソニー長野テックでは
私は検査工程の担当でした。
製造開始から携わった
VAIO TZシリーズが全台リコールされたことを
退職した後に報道で知ったときにはびっくりしました。

ソニー長野テックのあとは
ゴールパックという飲料メーカーの安曇野工場で
最初は大阪府のトーコーの派遣社員として働きました。
この会社は東急グループの創業者の
五島慶太氏が出身地の長野県の農業振興を目的として
設立した会社です(今は丸紅系列)。
ここにいたときは青森県果工「りんご果汁」の産地偽装の
とばっちりをもろに受けました。

ここの会社が上場廃止と同時に丸紅系列になることと
海上保安庁の巡視船に中国漁船が体当たりした事件のときに
仙石38官房長官が船長を釈放したことがきっかけで
能登に帰ることを決めました。

穴水町の甲(かぶと)地区に戻ってからは
私が「島崎です」というと
「どこの島崎さんですか?」と普通に聞かれました。
私ははじめは場所で答えてました。
でも屋号で答えた方がよかったかもしれません。
私の場合は屋号は「仁佐(にざ)」です。
そこの分家(新宅)なので「仁佐新宅」です。

農業については実家はやってないので素人です。
でも本家や親戚は農家です。

こっちで暮らすとなると仕事は自分で作るしかありませんが、
農林水産業は自然が相手なので決して楽な仕事ではありません。
そのことはここで暮らしていたから承知しています。

今新規で就農しようとすると生活資金もふくめて
大体1千万円くらい必要なんだそうです。
カネが先か、知識や技術の修得が先かということでは
私は知識や技術の修得を先にしました。
1年間、前田農園さんに頼んで仕事をさせてもらいました。
知識はインターネットの就農準備講座などで勉強しました。

カネがない私はやり方を工夫して
カネをなるべくかけずにする以外に方法はないと思います。
まだまだこれから始まったばかりです。

政治思想や信条的な部分について簡単にまとめます。

日本の国旗は「日の丸」であると考えています。
また靖国神社に参拝することを
中国や韓国に遠慮する必要はないと考えています。
私は自由民主党のネットサポーターの会員ですが、
だからといって右翼だとは思っていません。

仏教の宗派は曹洞宗です。

信条ですが、
佐藤一斎という儒学者が書いた「言志四録」の中の1節にある
「一灯を掲(さ)げて暗夜を行く。
暗夜を憂うことなかれ。
ただ一灯を頼め。」(言志晩録第十三条)

五島慶太氏(東急グループ創始者)の
「人間は知と行だけではダメである。
そこには必ず誰にも負けないという信念が必要だ。
それには信仰で人間の意志というものを絶えず鍛錬していく必要がある。
事業で成功するにしても、利殖するにしても、
不可欠なものは信念である。」
(東京市長選に伴う疑獄事件で6か月間
獄中生活を送った経験から得た哲学についての発言。
大審院(大日本帝国憲法時の最高裁)で
無罪が確定した。)[名言DBより引用]

信念というよりもこういう心境で
仕事に打ち込めればいいなという願望です。