2012年に新規就農時に最初に考えたこと(その1) 2015-11-24

2017年1月24日

おはようございます。

家で親父と話をしていると今でもずっと

「あいつは補助金ももらわずに何を考えているのか

さっぱり分からん」と在所の人から言われるそうです。

親父も農業は素人なので「俺も分からん」と答えるそうです。

誤解が変な風に広がっても困るので

これからは少しずつ説明をしていきます。

2011年1月に長野県安曇野市から戻ってきて

4月から翌年3月まで前田農園で農業研修をしました。

主な研修内容は、ホームセンターのコメリに出荷する

野菜苗の育苗管理、スイカ、白菜の育苗管理出荷作業、

おじいさんがどんたくというスーパーに出荷していますが

その野菜の栽培管理などです。

ぶどう園とかりんご園というのもありましたが

多岐にわたっていていろいろな内容を勉強出来ました。

そういう意味では感謝しています。

それに私の家は新宅ですが本家とカブトファームの高尾商店さん

を通して遠い親戚にもあたります。

ちょっとごたごたしたのはその辺の関係もあったので

私としては意図が分からなかったためです。

奥能登のひとつの特徴として親戚関係があります。

飛鳥奈良時代から続いているような旧家も存在するので

江戸時代まで先祖を遡れば親戚だらけの状態になります。

何気なく世間話をしていたら、相手が実は親戚だったという

こともたまにあります。

誰と誰が親戚なのか分かりにくいことがあるので

むやみやたらと他所様の悪口や陰口は言えません。

それは別にして本題に戻します。

一人ですべての農作業と事務をすることになります。

軽トラックやトラクターはもちろんビニールハウスもありません。

有機農業は知識では知っていましたが

実際やったことはありませんでした。

ただし小規模経営であれば有機農業もできそうだったので

4月から茨城県内原の日本農業実践学園に研修に行ったわけです。

戻ってから今は穴水町の町議会議員の佐藤豊さんの耕作放棄地を

お借りできましたが、ここをどのような形に再生するかを最初に考えました。

(その2に続く)