晴耕雨読 2013-09-16

2019年9月28日

台風18号と秋雨前線のために昨日から雨が降っています。

気象庁  2013-09-16-1200台風18

2013-0915-0300-2013-0916-1200アメダス北陸西部降水量

今月はずっとこんな日が続いていたので気分転換も兼ねて

農業書以外のビジネス書を久しぶりに読んでました。

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そういう意味ではインターネットはバカッターもありますが便利です。

私はインターネットが普及していない頃は新宿紀伊國屋書店や神田の古書店街まで

足を運んで書棚に並んでいる本の題名から内容を推察して手当たり次第に立ち読みしていたものです。

それで内容が気になる本は買って持ち帰ってました。

今はインターネットで書評まで読めます。

テレビ番組も石川県で放送されていない大阪の番組も探せば見れます。

けれども情報を集めることが容易になった代わりに

嘘の情報に振り回されるようになったことも事実です。

プリクラをみれば分かるように情報を加工することも誰でも簡単にできるようになりました。

インターネットで調べようとしたら玉石混交(ぎょくせきこんこう)で頭の中が逆に混乱してしまった。

それではと朝日新聞やNHKの報道で確認したら・・・・・どこかがおかしい、何か変だ。

何を信じればいいのか分からない。

おそらくインターネットの普及している今の時代ほど本当の事実はどうなのか、

真実はどうだったのかということが重要な時代はないと思います。

インターネットが普及し始めた当初は新聞や雑誌といった紙の媒体の時代は終わったといわれました。

アメリカ合衆国ではすでに新聞や雑誌の中には紙を止めてインターネットだけのところが現れました。

けれども結局のところは事実をねじ曲げて報道するメディアはインターネットを使っても存続できないでしょう。

事実をきちんと発信できるメディアであれば紙の媒体しかなくても存続できると思います。

ここ2年ほど農業書ばかり読んでいたので

今月の長雨は私にとってはいい気分転換になりました。

来年の栽培する作物も大体決まってきました。

これからはどうやって経営を軌道に乗せていくか農業ビジネスの検討に入ります。

大きな柱はすでに出来上がっているのでこれから修正していくだけです。

私は1989年(平成元年)6月4日に起きた天安門事件をニュースで知って自衛隊に入隊しました。

2010(平成22)年9月7日に起きた尖閣諸島中国漁船衝突事件での民主党政権の対応を見て

能登半島に戻る決心をしました。

最近ウィキリークスによって天安門事件の真相が少し見えてきました。

「まず憎しみを作り出してから虐殺を行うのは共産党の常套手段だと方政さんは指摘」

現在中国大陸で起きている反日デモと抗日テレビドラマに通じるものがあります。

2015年にアメリカ合衆国は朝鮮半島に駐留しているアメリカ軍を撤退させて

有事作戦統制権を韓国政府に移管しますが、そのことが半島有事の引き金になるかもしれません。

私はそれまでに2015年までに農業経営を安定させることができればいいと考えています。

(参考)

ウィキリークスが明かす天安門事件の裏

新唐人テレビ2011年10月4日付ニュース

【新唐人2011年10月4日付ニュース】数々の外交公電の暴露で話題のウィキリーク­ス。中には、1989年の天安門事件で市民虐殺に関与した兵士の告白もありました。当­時、100人の兵士が学生に殺されたとのうわさを聞いたため、群衆に向かって無差別発­砲をしたそうです。報道をご覧ください。

この外交公電は1990年3月26日、上海駐在のアメリカ領事館によって作成されまし­た。それは、ある領事館の職員が浙江省の村に帰省した際、その村の女性から聞いたとい­う天安門事件に関する記録です。

この女性の息子は天安門事件当時、第38軍の兵士でした。1989年6月4日、息子は­他の兵士とともに、天安門広場で空に向かって警戒射撃をする予定でした。その後、10­0人の兵士が学生によって殺されたようだとのうわさを聞きます。部隊が人数を確認した­ところ、確かに100人余り足りませんでした。

これに怒った兵士たちは、上司から発砲命令を受けると、機関銃で群集に向かい無差別発­砲しました。この発砲だけで、千人余りの庶民が死亡。しかも、遺体は兵士によってガソ­リンを撒かれて焼かれた後、ヘリコプターで運ばれました。

実は、殺されたといわれていた兵士100人は全員、部隊にいました。だまされたとはい­え、丸腰の市民に発砲したこの兵士は、自責の念に苦しみました。

天安門事件で、両足を戦車にひかれて切断した方政さんは、兵士が突然凶暴になり、学生­を戦車でひき殺したのはなぜかと、長年ずっと自問してきたそうです。

天安門事件の被害者 方政さん:「兵士の告白から分かるように普通の兵士にも良心があったはずです。人民か­ら愛されてきた兵士たちです。ではなぜ 庶民に無情に発砲したのか、二つの要素があるでしょう。まずは絶対的な命令を受けたた­め。もう一つが共産党内部 軍隊内部で、誰かがあるいはあることによって、兵士に庶民や学生への憎しみを植え付け­たのでしょう」

まず憎しみを作り出してから虐殺を行うのは共産党の常套手段だと方政さんは指摘。当時­、兵士が"暴徒"に殺された事件も、その一つではないかと述べます。

天安門事件の被害者 方政さん:「いわゆる兵士を虐殺した。"暴徒"ですが、もしかしたら潜り込んだ私服警­官や党のスパイかもしれません。たとえばエジプトの事件では多くの私服警官が捕まりま­した。警官は衝突を起こして、弾圧の口実を作っていたのです」

外交公電によると、兵士は虐殺の後の休暇期間中、村で誰にも軍隊のことは話してはなら­ないと命じられていたそうです。

天安門の母(天安門の遺族会) 張先玲さん:「何はともあれ、平和的なデモの状況下で党は丸腰の庶民を殺しました。私­の子も殺されました。これは重罪です。事件の関与者 、事情を知る人には真実を話していただきたい。そうすれば、この真相が明るみに出ます­」

これまでずっと当局は、天安門事件での虐殺に関する情報を封鎖してきたため、正確な死­亡者数は不明のままです。天安門事件の学生リーダーだった封従徳さんは、長年の調査か­ら3000人ほどが殺されたと推測。さらには、1万人が亡くなったとも言われます。

新唐人テレビがお伝えしました。