1年間の就農準備期間中の出来事を追加しました 2017-02-02

2011年1月に帰郷して4月から翌年の3月まで1年間穴水町の大郷にある前田農園というところで石川県からの助成金をもらって農業実習をしました。その後に新規就農しましたが、私の家はもともとは米農家でした。

現在は廃線になってしまった「のと鉄道」がまだ国鉄だった頃の能登線の甲駅の駅とホームがあった場所に私の家の田んぼがありました。能登線の鉄道用地買収のときに田んぼを売って農家をやめました。私が帰郷してから荒れ果てた甲駅の草刈りを始めて駅舎を能登鉄道から有料で借りた(他の駅では無料で借り受けている地区がありますね)のは、この場所がもともと私の家の田んぼだったからです。だから私が駅舎を使っていてもその辺の事情を知っている人はなにも言わないわけです。普通は狭い田舎のことなので、関係ない人が使いだしたらいろいろうわさ話が飛び交うと思います。

今でも地域でのトラブルはありますが、私の方が30年ぶりに戻ってきて地域の慣習をすっかり忘れている部分からきているというのも確かにあります。そういうときは教えてくれる人はいますが、みんな決まっていうことは私が話したということは絶対に内緒だぞ、ということです。単純なうわさ話ひとつとっても誰が話したのか出所まで遡れます。好き勝手なことを言ってるように見えても話す相手を使い分けてます。

このこと自体はどんな職場でもあることです。会社や役所の場合は守秘義務とかいって雇用契約書と別に一筆書かされたりしますが、あれと同類です。今の日本の公序良俗とか道徳モラルなどの一般常識の範囲内であればさしつかえないかもしれませんが、悪用されてこちらに損害がでるような内容であるときは制限をかけてくるはずです。必ずしも現行の法律と照らし合わせて条文通りの解釈で片付く問題とは違います。

それとは別にして私が帰郷した理由に尖閣諸島を国際紛争地域にしようとした民主党がありました。あんなの日本の国内法で普通に処理すればすむ問題です。普通に考えれば釈放するという政府の判断にはなりません。民主党に政権交代したときに地元の衆議院石川3区で民主党の国会議員が誕生したこともあってこれはやばい事態が起きていると判断しました。

農業と政治の問題は本当は最も密接な関係があります。農業と政治というよりも農業と戦争と言い換えた方がはっきりします。古来から肥沃な大地は戦争の原因になりました。日本でも農地を守るために武士が生まれました。牧歌的で平和な農村の姿があるのはアフリカのように戦争の危険がまったく感じられない今の日本だからです。日米同盟の抑止力が働いているからとも言えます。その辺が今までのブログの記事では見えなかったので、古いブログから記事を転載して私の考えをはっきりさせました。

その当時は自民党のネットサポーターでした。今は自民党員の立場からアベノミクスの農家が儲かるための農業政策にどうやって協力できるかに取り組んでますが、有機農業の選択はアベノミクスとは関係がありません。こちらは農業実習中だった2011年に能登半島と佐渡が世界農業遺産に認定されたことが理由です。世界農業遺産に認定される理由になった里山には農薬や化学肥料は存在しなかったはずです。1年間の農業実習の結果として現在の有機農業のスタイルに移行しましたが、その過程が古いブログに残っていたのでこちらにも移しました。

就農準備期間が1年間というのは短いかもしれませんね。でもどんな業種でも全くやらないで飛び込むのは無謀だろうし無駄に長すぎるとサラリーマンと同じになります。農業経営者と考えると個人事業主になります。実際税務署の確定申告でも農業経営者用の書式が別に用意されています。個人事業主でやっていけると判断できた時になると思います。個人事業主つまり良いことも悪いことも自分の行いは全部自分に跳ね返ってきます。蓮舫みたいにブーメランが刺さる人には無理です。この5年間でどういう形で事業を進めるかはっきりできたと考えています。