のとぴぃ

私が最初に考えていた耕作放棄地再生と農業ビジネスの流れです
耕作放棄地再生プロジェクト、と世界農業遺産にふさわしい能登のみらいの確立
自家採取・自家育苗用の圃場の完成
有機JASで原則3年以上が条件ですが、私は軽トラもトラクターも持っていなかった。補助金はもらえない。すべて手作業なので、5アールほどの面積に集約させた。ここが出来上がったら、ここを自家採取・自家育苗用の拠点にして、ここで育てた苗を栽培用の圃場に展開させる構想でした。
草刈りは最小限。たい肥は現地で作る。省力化を追求する。
能登半島は大部分が粒子がきめ細かな赤土の酸性土壌です。草刈りした土を野焼きせずに土壌に埋め込むと土が肥えてきて植生が変わる(酸性から弱アルカリ 性)。狭い中山間地では大型の農業機械は使えないし、肥料の運搬や散布は重労働です。現地でたい肥枠を作って省力化を図る。野焼きはGAPで禁止されているので、多年生植物で土壌改良とIPM対策をする。圃場とその周辺の中で循環するサイクルを作る。
能登半島の土壌に適応できる作物の選定と品種改良
品種改良には10年かかるのは普通です。世界農業遺産(GIAHS)の認定理由になった時代から存在していた能登の食材を中心に、10アールあたりの収益がコメと同等以上(10万円以上)のものをピックアップ。そして消防団のポンプ車操法全国大会と時期がずれる冬から春にかけて収穫出荷できる青果物を主力に置きました。ここから、世界三大健康野菜、ヤーコン、アピオス、キクイモ栽培が始まりました。穴水町には草月流の生け花の先生がいます。それで菖蒲湯で使う「匂い菖蒲」が生け花用の花材へと広がりました。
それと並行して有機JASとGAPなどの専門知識と技術の修得
有機JASは生産者や加工者や輸出入に携わる人にも実務経験が原則として3年以上必要です。耕作放棄地の再生をしながら、専門知識と技術の修得をしてきました。高齢になれば農作業も重労働ですが、実績を積めば農業系コンサルタントができるかもしれません。
販売先は、金沢市近郊や大阪名古屋東京などの大都市圏
石川県は金沢中央卸売市場と近江町市場のふたつの台所があります。 奥能登からは「顔の見える能登の食材」便が出ていたので、それを活用して信頼を得ることから始めました。私の祖父は戦前に、大阪三越で働いていたので、大阪市場を意識して品質と安全には決して妥協しない生産販売体制の構築を考えてきました。有機農産物の宅配事業では、10キロ圏内で人口10万人以上が採算の目安です。私は「顔の見える能登の食材」便から、ウラジロ採取へ進みましたが、丸果石川中央青果さんとの関係は、販売流通クレーム対応はすべてやってもらって、私は栽培生産収穫に専念するというものです。生産者は野外での作業が多いので、お客さんの注文の対応を引き受けてくれるだけでも安心感が違います。
イノシシとクマは大きな誤算
2012年に私が新規就農した当時はイノシシは能登半島にいませんでした。一度絶滅させました。それが数年後にはイノシシだらけになって、その対策を試行錯誤することになりました。ちょうど電気柵で死亡事故が起きた時期でした。それで私は電気柵を使わない方法を研究してきました。このイノシシとの知恵比べは今も続いています。

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