今までの簡単なまとめ(2011年) 2015-07-22

2019年9月28日

事業計画を立てる場合は5年分ですが、大体3年目には一度見なおして修正をすることが普通です。2011年の準備期間を入れると5年目です。ここらで一度見直す必要があります。私の場合は思い出しやすいように作業記録用に写真を撮っていました。作業中は常にデジカメやスマホを携行して作業前と途中で気がついたこと、作業後と公共工事の土木工事現場の記録の取り方のような方法をしています。このやり方は2011年に1年間農業研修をしていたときから続けています。

最初は忍者ブログの無料版を利用して「日本海-NOTOブログ」というものを作っていました。無料版なので放置してもインターネットの空間を漂流するだけで消えないという利点があります。2011年当時の世間に出すのをはばかるものを除いて記事にした分は拾えます。2013年から更新頻度が落ちた理由もここの研修先が絡んでますが、風化してきたら2~3年後には出せるかもしれませんね。

さて2011年1月に長野県安曇野市から穴水町甲地区に帰郷しました。

帰京する前の前職はゴールドパック株式会社安曇野工場で契約社員でした。

今は大阪のエア・ウォーターさんの傘下にいますが、私がいたころは東急グループです。最初は派遣で入りましたが2012年の派遣法の改正のときに契約社員に移行しました。私が退職した理由は2011年1月に東急から丸紅グループに変わったためです。もともとゴールドパックという会社は東急グループ創業者の五島慶太氏が出身地の長野県の農業振興を目的に作った会社です。そこに惹かれて働いていたので郷里に帰るいい機会だと思いました。前年2010年10月にあった尖閣諸島沖で領海侵犯と不法操業をする中国漁船(船長は軍人らしいけど)の海上保安庁巡視船への体当たり事件に対する当時の民主党政権の仙石38の対応も帰郷したもうひとつの理由です。

さて帰郷して最初に何をするか考えました。ハローワークには失業保険受給の関係で当然出向きましたが、雪が溶ける4月にならないと求人は出てこないと言われました。消防団に入れないか?という話は自然に聞こえてきました。でも消防団も給料だけをみればほとんどボランティアですが、身分は地方公務員扱いなので過去5年間に警察のお世話になったことがないかとかしっかり身元確認をするんですよ。2006年の能登半島地震でこっちの人も見聞きしたかと思いますが、ボランティアにきたのか空き巣に来たのか分からない人が混ざったら消防の仕事どころではないからですが、帰郷したばかりで周囲に早くなじむ方法としては消防団に入ることが一番早いと判断して入団しました。過去5年までなら心を入れ替えて生活していたので大丈夫だと思ってましたが、消防団活動をするとなるとサラリーマンは難しいので必然的に個人事業主として農業経営になりました。

農業の6次産業化とよくいいますが、私の場合は2次の製造加工はゴールドパックで3次のサービス業はロイヤルホストとミニストップで経験しているので川下から川上の1次産業に登ってきた形になります。

農業研修ということで穴水町役場の中にあるハローワークに相談に行ったら「それだったらここがあるよ」と紹介してもらったところが前田農園でした。給料は「いしかわ農業漁業人材雇用創出事業」なるものから出ていました。事業所に月25万ほどで委託してそこから16万ほどが私の給料です。今どき農業をする人が地元でもいないので「本当に続くのか?」と周囲にいろいろ言われましたがとりあえず1年やってみてから次のことは考えることにしました。一人になってからでは勉強する時間が取れないと考えたので毎月3万を目安に中古書籍を買って勉強してましたが、それにしても農業関係の書籍が中古本でもそれほど安くなくて入手に苦労しました。

2011年6月に能登半島と佐渡が世界農業遺産に登録されたことがきっかけで有機農業に目が向きました。それまでは農薬と化学肥料をどのくらい使えば売り物になる作物が収穫できるかということばかり考えていたので、ある意味では大転換ですが、私の場合は農業経験がほとんどなかったので、すんなり頭の中を切り替えられたんだと思います。大量の農薬と化学肥料を買わずにすんで、なおかつ20%ほど高く売れるのであれば、工夫次第では慣行栽培よりも儲かるのではないかと単純に考えたからでもあるんですけどね。有機農業についてはインターネットの就農準備校で勉強しました。その流れで11月に日本有機農業研究会に入会して12月になって来年からのことを考えたら、1ヶ月だけでもいいから実際に有機農業の農業研修をする必要があるという結論になりました。そうかといってもいきなり茨城県まで行っても大丈夫か少し不安だったので、2012年2月に東京の國學院大學で開かれる「有機農業セミナー」に参加して最終判断をすることにしました。

ここまでが2011年の就農準備のまとめです。

地域になじむのに消防団は有効な方法でしたが、仕事の調整は大変でした。まあその辺は早く他の団員の人と顔なじみになってうまくコミュニケーションを取るしかないですが。消防団としては10月に震災ボランティアで宮城県石巻市牡鹿町鮎川浜清崎に2泊3日で行ってます。

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