どうしてJAや農業試験場に頼らないで自分でオーガニック作物の試験栽培を始めたのか

私は2012年に穴水町で新規就農してから今もそうですがオーガニックでの試験栽培を続けています。それも補助金をもらわずになので、周囲の農家から笑われ者になってます。どうしてこんなことを笑われながら馬鹿にされながら続けているんでしょう?

理由は簡単なことです。奥能登のJAや農業試験場はオーガニック作物を扱ったことがないからです。だったら自分で取り組んだ方が手っ取り早いです。穴水町には西出さんという変わった方がいて町の農家の人が絶対に無理だと言っていた赤土の開拓地で立派なトマトを作りました。この人のことを話で聞いていたのでJAや農業試験場のことはほとんど気になりませんでした。

それだけのことですが、もうひとつ重要なことがあって、私は耕作放棄地と呼ばれる新規就農には条件が良くない農地でスタートしました。昔の水田の面影は微かに残ってましたが、すっかり大自然に戻ってました。無農薬栽培には好都合ですが、水稲以外で何ができそうなのか分かりませんでした。どんな野菜を作りましょうか?ではなくて、何ができるのか?というところから始めました。一般的にオーガニックの場合は3年以上使用禁止資材の混入がない状態で管理する規定になってます。とりあえず3年ほどいろいろな種苗を栽培して出来そうなものを見つけることにしました。

それから農家研修を始めた2011年6月に能登半島と佐渡島が世界農業遺産に認定されたことも大きな理由のひとつでした。あたり前の話ですが、その頃は化学肥料や農薬を使った作物づくりはしていませんでした。世界農業遺産にふさわしいものとなるとオーガニック作物しか思いつきませんでした。

私は2011年に帰郷する前は長野県安曇野市で働いていました。ゴールドパックという飲料水メーカーの工場で有機JAS飲料の製造にも携わっていたのでオーガニック作物についてはそれほど難しいというイメージはありませんでした。

ともあれ5年ほど試験栽培を続けてこれならできそうだという作物を何点か見つけることができました。